大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和50年(ネ)1990号 判決 1977年3月15日

控訴人(附帯被控訴人)

永岡貞子

控訴人(附帯被控訴人)

川口清吉

右控訴人ら両名訴訟代理人

島秀一

被控訴人(附帯控訴人)

堀裕計

右訴訟代理人

小倉武雄

他五名

主文

一、控訴人らの本件控訴を棄却する。

二、附帯控訴人の附帯控訴に基き、原判決を左のとおり変更する。

1、附帯被控訴人らは附帯控訴人に対し各自別紙目録記載の建物を明渡し、かつ昭和四八年五月一六日から右建物明渡しずみまで一カ月金五、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

2、附帯控訴人のその余の請求を棄却する。

三、訴訟の総費用は控訴人ら(附帯被控訴人ら)の負担とする。

四、この判決は、第二項中の金銭支払を命じた部分および前項につき仮に執行することができる。

事実

控訴人ら(附帯被控訴人ら)訴訟代理人は控訴につき「原判決中、控訴人ら敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、附帯控訴に対し附帯控訴棄却の判決を求めた。

被控訴人(附帯控訴人)訴訟代理人は控訴に対し「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求め、附帯控訴につき「原判決中附帯控訴人敗訴部分を取消す。附帯被控訴人らは附帯控訴人に対し各自昭和四〇年八月一日から別紙目録記載の建物明渡ずみまで一カ月金二万円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも附帯被控訴人らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求めた。

第一、被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という)の請求原因

一、被控訴人は別紙目録記載の建物(本件建物)を所有するところ、控訴人ら(附帯被控訴人ら、以下単に控訴人らという)は右建物に居住してこれを占有している。

二、控訴人らの本件建物賃借の抗弁のうち、本件建物の前主が堀久五郎であつたことは認めるが、その余の事実は争う。

かりに控訴人貞子が前主久五郎から本件建物を借受けたとしてもその対価は月一、〇〇〇円というような少額であるからそれは使用貸借にすぎず、被控訴人に対抗することはできない。

三、かりに控訴人貞子が控訴人ら主張のように前主久五郎から本件建物を賃借したとしても、以下述べるとおり右賃貸借には借家法一条の適用がないから同控訴人は被控訴人に対し自己の賃借権を対抗することができない。すなわち、被控訴人は昭和四八年五月一五日久五郎から本件建物を買取りその所有権を取得し、同年七月二〇日その旨登記手続を了したものであるが、右買取りについては次のような事情があつた。

1、まず、被控訴人はかねてから本件建物の敷地である別紙目録記載の土地(本件土地)をも所有しているのであるが右土地建物の使用関係については次のような来歴がある。すなわち、本件土地は被控訴人の先々代堀休庵(医家)が明治三四年以来附近の土地とともにこれを所有していたところ、同四四年四月大字曲川(または曲川部落)に警察署の派出所が新設されることとなつたので、村の有力者である休庵やその分家にあたる堀熊次郎(久五郎の先々代)はこれに協力し、休庵が本件土地を無償で提供し、熊次郎がその地上に派出署を建ててこれを提供した。本件建物はかくして新築された建物をその後増改築したものにほかならない。したがつて、休庵は当時熊次郎に対し本件土地を派出所建物設置という公共の目的のため無償で使用貸ししたということができる。

2、そして、その後本件土地所有者は順次相続により大正四年一〇月二七日休庵から堀音作へ、昭和一二年三月三〇日音作から堀明へ、同二八年九月二六日明から被控訴人へ移つた。一方、本件建物の所有者もやがて相続により堀熊次郎から堀久太郎(久五郎の実兄、養親)に移転したが、久太郎はいつのころか右建物を大字曲川に寄附した。ところが、久太郎の相続人久五郎は昭和二一年一二月一九日右建物について自己名義の保存登記をし、また昭和二七年には債権者蔭山政助のためこれに抵当権を設定する等本件建物は自己所有のものであるとの態度を示し、一方大字曲川としても特に本件建物の所有権を保持しておく必要もなかつたので、久五郎にこれを返還した形となつた。

3、しかるところ、昭和三八年一二月になつて時代の趨勢で本件土地はもはや派出所として適当な場所といえなくなりまた建物も老朽化したので、警察では右派出所の使用を廃止し、新県道沿いの場所に移転し、同四〇年六月には奈良県から右土地建物の明渡しを通告してきた。

したがつて、右時点においてそれぞれ前記本件土地の使用貸借における貸主、借主の地位を承継していた被控訴人と久五郎との間の本件土地使用貸借は所期の使用目的を終了したことにより終了した。そこで、被控訴人はそのころから久五郎に対し本件建物収去本件土地明渡を請求していたところ、久五郎は右収去明渡の義務はこれを認めながら建物取りこわし費用がないから被控訴人の出捐で取りこわしてほしい旨述べ、また入居してきた控訴人らについては自己の責任で退去させる旨も約したので、被控訴人はやむなく前記のとおり昭和四八年五月一五日久五郎から右建物を廃材の値段である二五万円の代金で買取つた次第である。

4、控訴人らは本件土地の使用関係は使用貸借ではなく賃貸借である旨主張しているが事実はそうではない。

被控訴人の先代らはかつて本件土地はもとより附近土地を久五郎の先代らに賃貸したことはない。もともと休庵は本件土地を含む近辺の土地に貸家を建て、他に賃貸していたのであるが、派出所新設に協力するため本件土地上の貸家をわざわざ他に移築し、本件土地を更地として提供したものであり、これより前に久五郎の先々代熊次郎に右土地を賃貸したような事実はない。

したがつて、また被控訴人側が熊次郎らから地代を受取つたような事実はない。もつとも、前記のような経緯からして、被控訴人先代らは大字曲川から派出所建物設置の目的で本件土地を無償供与していることの謝礼として毎年玄米四斗九合五勺、途中から金一、二八〇円を受領した事実はあるが、もとよりこれらの金品は久五郎の先代から受領したものでもないし、その趣旨も大字曲川からの謝礼であつて賃料ではない。げんに、久五郎の先代も大字曲川から本件建物提供に対する謝礼として毎年二七円六〇銭を受領していたのである(ただし、右建物を大字曲川に寄附してからは当然のことながら右謝礼金の授受はなくなつた。)。

5、以上のような次第で、かりに控訴人貞子が久五郎から本件建物を賃借したとしても、被控訴人がこれを久五郎から買取つた当時は、前記のとおり既に被控訴人と久五郎間の本件土地使用貸借はその目的に従い使用収益を終えたことにより終了しており、従つて右使用貸借の終了はこれを本件建物の賃借人に対抗できるものであるから、被控訴人としては控訴人らに対し本件建物から退去し、本件土地を明渡すべきことを請求しうる立場にあつたのである。このようなわけであるから被控訴人がたまたま前記のような趣旨で本件建物を買取つたからといつて被控訴人の右立場が否定されることはないので、控訴人貞子としては本件建物の賃借権をもつて被控訴人に対抗できないものである。

四、よつて、被控訴人は控訴人らに対し本件建物の明渡しと各自昭和四〇年八月一日から右建物明渡しずみまで一カ月二万円の割合による賃料相当損害金の支払いを求める。

第二、控訴人らの答弁

一、被控訴人の主張事実一は認める。

二、しかし、控訴人らは次のとおり本件建物を占有する権原を有している。すなわち、控訴人貞子は昭和四〇年四月三〇日本件建物を当時の所有者堀久五郎から敷金三万円、修繕費は同控訴人の負担、賃料は月額一、〇〇〇円等の約定により賃借し、これを占有しているのであり、控訴人清吉は控訴人貞子の内縁の夫として本件建物を従属的に占有しているものである。被控訴人は自らも主張するとおりその後昭和四八年五月一五日久五郎から本件建物を買受けその所有権を取得したものであるから、当然控訴人貞子の右賃借権の対抗を受けるものである。

三、被控訴人の主張事実三は争う。

被控訴人の右主張は、被控訴人の久五郎に対する本件土地供与の法律関係が使用貸借であることおよびこれが目的終了により終了したことを前提としているが、右のような前提事実自体首肯できない。

1、被控訴人先代は久五郎先代に対し本件土地を賃貸したものである。すなわち、久五郎の先々代熊次郎は明治の初め以来本件土地をその所有者である被控訴人先代から賃借し地上に貸家を所有し他に賃貸していたが、明治の末か大正の初めのころ大字曲川に警察の派出所を誘致することになり、曲川部落の有力者であつた熊次郎がこれに協力し、本件土地にさらに派出所用建物を新築し、旧建物とともにこれを無償提供した。このようなわけで、地代も以後大字曲川が熊次郎に代つて毎年末被控訴人先代に支払つてきたのであり、げんに被控訴人は昭和三八年にも年間一、二八〇円の地代を受領している。ところが、派出所移転後借地人久五郎は地代を支払わないので、控訴人貞子がやむなく久五郎に代つて地代の弁済供託を続けているのが現状である。

2、また、被控訴人と久五郎との間の本件土地使用関係が賃貸借であるにせよ使用貸借であるにせよ、右土地使用の法律関係は双方の合意により解除され終了したものであるから、右合意解除は久五郎所有の地上建物の賃借人である控訴人貞子に対抗することができない。

四、かりに控訴人貞子に本件建物明渡義務があるとしても、同控訴人は前賃貸人久五郎の同意を得て本件建物に浴場、ブロツク塀を設置し、便所を修繕し、屋根瓦をふきかかえ、畳建具もあらたに附加したので、本訴において被控訴人に対し右造作を時価九〇万円をもつて買取るべき旨造作買取請求権を行使し、右代金の支払いがあるまで本件建物の明渡しを拒む。

五、よつて、控訴人らは被控訴人の本訴請求に応ずることができない。

第三、証拠関係<略>

理由

一被控訴人が本件建物を所有するところ、控訴人らが右建物に居住してこれを占有していることは当事者間に争いがない。

二控訴人らは、控訴人貞子が右建物につき賃借権を有する旨主張し、被控訴人は右抗弁を争うから検討する。

1  まず、本件建物がかつて堀久五郎の所有であつたことは当事者間に争いがないところ、<証拠>を総合すると、久五郎は昭和四〇年春ごろ控訴人貞子に対し後記事情により当時空家になつていた自己所有の本件建物を敷金三万円、家賃一カ月一、〇〇〇円の約定で賃貸し、同控訴人は同年七月ごろ、その内縁の夫である控訴人清吉はおそくとも同四二年五月ごろ右建物に入居したことが認められる。前掲の原審証人堀久五郎の証言によれば、右家賃一カ月一、〇〇〇円は極めて低れんで、本件建物の場合当時でも一カ月五、〇〇〇円ないし六、〇〇〇円の家賃が普通であつたことが認められるが、それが故に右久五郎、控訴人貞子間の建物使用契約が対価を伴わぬ無償使用契約であつて、賃貸借契約ではないということはできない。

また<証拠>によると、被控訴人はその後昭和四八年五月一五日久五郎から後記のような事情により本件建物を代金は金一封ていどとする約定で買受けその所有権を取得し、同年七月二〇日その旨登記手続を了し、そのころ金五万円を久五郎に交付したことが認められる。

してみると、控訴人貞子の本件建物賃借権は一応は借家法一条により被控訴人に対し効力があるように思われる。

2  しかるところ、被控訴人は本件については右法条の適用はない旨るる主張するのでまず本件土地建物をめぐる関係人の事情について検討する。

<証拠>に弁論の全趣旨を総合すると次のような事実を認めることができ、他にこれを左右する証拠はない。

(イ)  本件建物の敷地である本件土地は被控訴人がこれを所有するものであり、その取得原因は被控訴人の主張するとおり累次の相続であるが(被控訴人の主張する請求原因事実三の2参照)、先々々代に当る堀休庵は明治四四年四月ごろ地元の大字曲川が巡査駐在所を誘致するにさいし、土地の有力者として本件土地を右駐在所の敷地に使用する目的で無償提供し、他方建物については休庵の分家にあたる堀熊次郎が右地上に駐在所用建物を新築してこれを提供した。その後右建物は駐在所として永年使用されたが、その間大正五年に改築され、昭和一三年ごろには一部増築もされた。これが本件建物である。

なお、以上のとおり大字曲川の駐在所は専ら休庵や熊次郎の厚意によつて誘致できた関係上、大字曲川はその後休庵ら被控訴人の先代には毎年玄米四斗九合五勺、のちこれを換算して金一、二八〇円を、熊次郎には毎年金二七円六〇銭を大字曲川の負担で支払つていたが、後者の支払いはいつのころか途絶えてしまつた。

(ロ)  ところが、くだつて昭和三八年になり本件土地は駐在所の所在地としては場所柄不相当となり、また建物も旧式で老朽化したため、駐在所は新設された県道沿いに移転されることとなり、昭和三九年早々には本件建物の駐在所としての使用が廃止され空家となつた。

(ハ)  ところで、本件建物は以上の経過によると熊次郎の所有であつたといえるところ、久五郎は右熊次郎の相続人久太郎を相続したものにほかならない。久五郎は昭和二一年一二月一九日それまで未登記であつた本件建物につき自己名義の所有権保存登記手続をした。しかし、久五郎はその後事業にも失敗して零落し、本件建物が空家となつた昭和三九年ごろはその住所も判明しない状況で、建物もそのまま放置されていた。

(ニ)  一方、本件土地の所有者である被控訴人は前記のとおりもはや所期の土地使用目的が終了し、地上建物も老朽化したのに鑑み、このさい久五郎に本件建物の収去を申入れ、本件土地の返還を受けたいと考えていたのであるが、前記のとおり久五郎の所在が明らかでないのでことを延引していたところ、昭和四〇年七月ごろ近所の人から突然「旧駐在所に誰か人が入居した。」と告げられ、控訴人ら入居の事実を知つた。

(ホ)  控訴人らが本件建物に入居したのは、久五郎がそのころ控訴人清吉と共同で水銀鉱を堀り当てる事業を試みたが失敗した等の事情もあつて被控訴人と特段の相談もせず入居させたものにほかならず、したがつて賃料も前記のとおり極めて低れんであつた。

(ヘ)  そこで、被控訴人はその後控訴人らに事情を話したが、控訴人らは退去しようとせず、かえつて、昭和四三年五月には被控訴人に対し一方的に久五郎の依頼によると称して二年分の地代名義で二、六〇〇円を送付し(なお、被控訴人はそのさい直ちに内容証明郵便をもつて控訴人貞子に異議を述べ、土地使用権原のないことを説明している。)、その後昭和四五年九月二九日には久五郎名義をもつて昭和四一年ないし四四年分の地代名義の金銭(一カ年一、二八〇円の割合)を弁済供託し、その後も同旨の供託を続けている。

(ト)  その後おそくとも昭和四八年初になり被控訴人はようやく久五郎との連絡がついた(当時同人は大阪市北区にある土建業を営む株式会社山口組大阪支店に勤めて日を送っていることが判明した)ので、久五郎に対し本件建物収去本件土地明渡しをすることと控訴人らの本件建物退去につき善処することを申入れたところ、久五郎は原則的にはこれを承諾しながら、「家を取りこわす資金がないから被控訴人の方でやつてくれ。」と答え、また控訴人らの件についてもなかなか自ら動こうとしなかつた。そこで、被控訴人はいずれにせよ久五郎をあてにしていては事ははかどらないと考え、自ら対処することとし、建物はこれを収去する目的で前記のとおり代金は金一封ていどで買取ることを久五郎に申入れ、同人もこれを諒承し、また控訴人らに退去を求める件については右建物買取りの前後を通じ取り敢えず久五郎を介し控訴人らに対し種々の交渉を試みたが、やがて久五郎から「控訴人らは一筋繩ではいかぬ人物である。交渉は決裂した。」等の趣旨の手紙が来たので、本訴を提起するに及んだ。

以上の事実が認められる。

そこで、以上の事実関係によつて按ずるに、

(1) まず、本件土地の利用関係は、明治四四年四月ごろその所有者である被控訴人の先々々代堀休庵が地元大字曲川に協力する趣旨で駐在所建物の敷地として利用する目的で久五郎の先々代堀熊次郎に無償で使用貸ししたものであり、熊次郎も右地上に駐在所用の建物(ただし、増改築前の本件建物)を新築し、これを無償で提供していた関係にあつたところ、くだつて昭和三八年末ごろ本件土地は時代の変せんに伴い駐在所の所在地としては場所柄不相応となり、建物も旧式で老朽化したため、駐在所は他に移転され、よつて、本件建物の駐在所としての使用は廃止されて空屋となり、ここに本件土地の使用貸借契約は当初定めた目的に従つた使用を完全に終えたことにより終了したものと解される(民法五九七条二項)。もつとも、被控訴人およびその先代らは前記のような土地使用の趣旨目的からして毎年大字曲川から一定の金品を受領していたことは前記認定のとおりであるが、これはもとより本件土地上に本件建物を所有することにより本件土地を使用借りしている久五郎またはその先代から受領したものでもなく、また同人らの代理人としての大字曲川から受領したと解することもできないから(なお、同人らも建物無償貸与につき大字曲川から同旨の金員を受領していたことも参照)、右の事実によつて被控訴人およびその先代らと久五郎およびその先代ら間の本件土地使用契約が使用貸借ではなく、賃貸借であるということはできない。

そうすると、久五郎はおそくとも昭和三九年早々には本件土地使用貸借契約の終了に基き被控訴人に対し本件建物を収去して本件土地を明渡す義務が生じ、被控訴人もつとに久五郎に対し右義務の履行を請求し、久五郎は右義務の存在を自認せざるをえなかつたことが明らかである。

(2) したがつて、その後である昭和四〇年七月ごろ以降に本件建物に入居してその敷地である本件土地を使用占有している控訴人らも本来被控訴人に対し特段本件土地の使用権原を主張しうる立場にはなかつたところ、被控訴人はさらにその後である昭和四八年五月久五郎から本件建物を買受けたのであるが、右買受の事情は前記のとおり久五郎がつとに本件建物収去土地明渡義務を認めながらなかなかこれを実行しなかつたのでやむなく自らこれを収去する目的で換言すれば、久五郎の前記義務の履行をいわば代行する趣旨でこれを極めて低れんな額で買受けたものである(なお<証拠>によると、被控訴人は久五郎をして控訴人らに本件建物からの退去を交渉させたさい、退去に応じない場合の第二次案として、敷金五〇万円、家賃月二万五、〇〇〇円で賃貸することをも提案させたがこれも控訴人らの拒否するところであつたことが認められるが、被控訴人が一時右のような二次的な解決案を考えたからといつて前記本文説示のような本来の本件建物買受けの趣旨目的自体に消長を来たすものとは考えられない。)。以上のような経緯を彼此勘案すると、被控訴人の本訴請求原因が本件建物所有権に基く建物明渡請求と構成され、そのため控訴人らから借家法一条を根拠とする建物賃借権の抗弁を受けることとなつたのは、被控訴人が久五郎自身も自認する同人に対する本件建物収去本件土地明渡請求権を久五郎に代つて自ら実現しようとする目的で建物を買取つてしまつたからであり、被控訴人の本訴請求は実質的には本件土地所有権に基く本件建物退去本件土地明渡請求と同様のものであると解されないではない。

(3) しかして、このような事実関係の下においては、被控訴人と控訴人貞子との間には本件建物について借家法一条の適用はなく、それ故被控訴人が同控訴人との関係で本件建物賃貸人たる地位を久五郎から承継することはなく、結局控訴人ら(なお、控訴人清吉は自らの建物占有権原を控訴人貞子に依存するという以外他に主張がない。)はいずれも控訴人貞子の建物賃借権の存続を理由として本件建物を使用することはできないと解するのが相当である(最高裁昭和三一年二月一〇日判決・民集一〇巻二号四八頁参照)。叙上のごとく解するときは、借家法によつて保護されるべき控訴人貞子の建物賃借権を不当に制限するかのように考えられないではないが、反面控訴人としては、少くとも被控訴人が本件建物を買取る以前にあつては、敷地利用権を伴わぬ同建物を久五郎から賃借、占有しているものとして同人が敷地所有者の被控訴人に対して同建物の収去義務を履行することを耐忍せねばならぬ地位にあつたわけでありその後被控訴人が同建物を収去の目的で買い受けたことでその収去を耐忍する必要がなくなつたと認めることは、いかにも不合理といわざるを得ない。

(4) 被控訴人と久五郎との間の本件土地使用契約が合意解除によつて終了したことを前提とする控訴人らの主張はその前提事実が認められないから失当である。

(5) 以上のとおりであるから、被控訴人の前記主張は正当として首肯することができ、結局、控訴人らは各自被控訴人に対し本件建物を明渡すとともに、被控訴人が本件建物の所有権を取得した旨の翌日である昭和四八年五月一六日から右建物明渡しずみまで一カ月金五、〇〇〇円の割合による新規賃料相当損害金(原審証人堀久五郎の証言および本件建物の規模に照らし、本件建物の昭和四八年五月一六日当時における賃料は少くとも一カ月五、〇〇〇円を下廻らないことが認められるが、これを超えた賃料額を認むべき確証はない。)を支払う義務がある。

三控訴人らの造作買取請求権に関する主張は、はたしてその代金額の支払いと本件建物明渡しとの同時履行をいうのか、または代金債権を被担保債権とする留置権の行使をいうのか必らずしも明らかではないが、いずれにしてもいうところの造作代金債権は造作に関して生じた債権にほかならず、建物に関して生じた債権ではないから、控訴人らは右代金債権の存在をもつて本件建物明渡しを拒むことはできない(最高裁昭和二九年一月一四日判決・民集八巻一号一六頁、同年七月二二日判決・民集八巻七号一四二五頁参照)。したがつて、右控訴人らの主張は爾余の判断をなすまでもなく失当である。

四そうすると、被控訴人の本訴請求は叙上の範囲でこれを正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきである。

よつて、原判決よりさらに有利な判決を求める控訴人らの本件控訴は理由がないからこれを棄却し、かえつて被控訴人の附帯控訴には一部理由があるから右附帯控訴に基き原判決を変更し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(朝田孝 戸根住夫 畑郁夫)

目録

(建物)

奈良県橿原市曲川町一、一八六番地一地上

家屋番号 一、一八六番一

一、木造瓦葺平家建居宅 95.64平方米

(土地)

同所同番地

一、宅地 211.57平方米

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例